400m走競技者のアセスメントとコーチング

元研究員 山元康平

『隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦燥に駆られて来た。』

―中島敦『山月記』

1. はじめに
 先日,スポーツコーチングにおける課題発見のためのアセスメントの重要性を論じていた際に,日本代表経験もあるトップアスリートに,「アスリートが求めているのは課題ではなく,課題を解決するためのトレーニング方法だ」という意見を頂きました.
 スポーツコーチングは,しばしば医療行為に例えられます.医療が,病気の原因を特定し,その治療にあたるように,スポーツコーチングでは,パフォーマンスを制限している原因を特定し,その改善によってパフォーマンスの向上を目指します(厳密には病気の特定とトレーニング課題の特定は少し意味が異なるように思いますが).先の発言にこれを当てはめると,「患者が求めているのは病名ではなく,病気を治すための治療法だ」となるでしょうか.
 また,競技会後のアスリートのコメントとして,「課題はわかっている」「課題が明確になった」という言葉をよく見聞きします.先の発言と合わせて考えると,アスリートは自身の課題を明確に理解できているので,その解決方法が必要ということでしょうか.

 ところで,医療の現場ではどのようにして治療法を決定するのでしょうか.治療法の決定に先んじて(あるいは同時並行で),病名の特定があり,そのために,種々の検査が行われると思います.そして,特定された病気と患者の状態をもとに,治療法が選択されていくものと考えられます.
 一方で,しばしば「誤診」に関する話題を耳にするように,病名を特定することは決して容易なことではないでしょう.種々の検査,各種マーカーの値を元に,多様な可能性の中から当該症例の診断名を特定していくものと思われます.

 「課題ではなく解決方法が知りたい」という言葉は非の打ち所がない正論です.しかし,病気の診断をせずに,治療法を処方できるでしょうか.「俺はたぶん膵臓が悪いから,手術してくれ」と医者に言うでしょうか.

    

2. 400m走のパフォーマンス構造とトレーニングプログラム
 400m走では,個々人が発揮しうる最大走スピードに対して90%以上の高いスピードに達するとともに(Hanon and Gajer, 2009),レース後半では,走スピードはピークから20%以上低下します(山元ほか,2015a),さらに,400m走では,パフォーマンスを最適化するためには,数%レベルでの繊細な走スピードのコントロール(ペース配分)が求められます(Saraslanidis et al., 2010).これらのことから,400m走では,高い最高走スピードとその維持,さらにはそのための適切なペース配分が重要になります.これらについて,トレーニング現場では,①スピード,②スピード持久力,③ペース配分などの用語を用いて評価が行われているとともに(髙野,2009;土江,2011;安井,2015),これらの要素を高めることをねらいとして,様々な手段・方法でトレーニングが行われています.
 表1は,400m走のトレーニング方法の分類例を示したものです(山元,2019).トレーニング手段・方法の分類には様々な考え方があるため,アスリートとコーチが共通理解を持つことが大切であり,時期や競技レベル,個々人の課題に応じてトレーニングプログラムを作成していると思います.表2は,表1をもとに,1週間のトレーニングプログラムの例を示したものです.

表1  400m走のトレーニング手段および方法の分類例(山元, 2019)




表2  400m走競技者のトレーニングプログラムの例-試合準備から試合期の男子大学生レベル
(山元, 2019)


 試合準備から試合期の男子大学生レベルを想定し,トレーニング課題を想定したいくつかのパターンを示しています.どうでもいいですが,今年の3月くらいにこんな会話がありました.「めちゃくちゃですよ」「300m10本とかやらせてるとか?」「もっとやばいです.30分走ですよ」「うわあ」パフォーマンス構造の理解とそれに基づくアセスメントを欠くトレーニング処方は,痛風患者にビールを一気飲みさせるようなことを平気でやりかねません.
 トレーニングプログラムは,個々人の課題と目標に応じて作成されることが重要であることは言を俟ちません.一方で,競技レベル,年齢,性差,体力特性,チーム状況といったあらゆる前提条件を抜きに,「AというトレーニングとBというトレーニング,どっちが効果ありますか?」と,アスリートはおろか,大学院生やコーチ,トレーナーを名乗る人,高名な研究組織の研究員ですら言って憚らないのが現実です.病気を特定せず,薬を飲ませ腹を切ろうというのです.
 パフォーマンスの向上は,適切なトレーニングプログラムの立案と実践によって達成されるはずです.適切なトレーニングプログラムの立案は,適切なアセスメントによる課題の明確化と目標設定に支えられています.病名の診断にあたる「課題の発見」は,春先の1-2試合の結果からできるほど容易なものではないはずです.稚拙なアセスメントによる曖昧な課題と目標の設定から,適切なトレーニングプログラムの立案やパフォーマンスの向上が実現される蓋然性は極めて低いと言わざるを得ません.とはいうものの,誰もが専門的・詳細な分析が行える環境にあるというわけでもなく,多くのコーチやアスリートは,ビデオとストップウォッチを頼りに戦うのが現実だと思います.
 そこで今回のコラムでは,400m走競技者のアセスメントと目標設定に利用できる簡易的な指標とアセスメントの手順について紹介します.なお,以下の内容は山元 (2019) を再構成したものです.


    

3. 400m走競技者の「スピード」
 まず,400m走パフォーマンスへの影響が大きい「スピード」のアセスメントを行います.
 スプリンターのスピードは,100m走や加速走のタイムによって評価するのが一般的です.表3は,目標とする100m走記録を達成するための最大走スピードやスタートダッシュ,加速走などのタイムを示したものです.
 一方,400m走競技者のスピードの評価には,200m走記録を用いることが有用であると考えられます.図1は,400m走記録と200m走記録との関係,表4は,目標とする400m走記録を達成するための200m走記録の目安を示したものです(山元ほか,2019b).これらの目安をもとに,目標とする400m走記録を達成するのに必要なレベルのスピード能力(200m走記録)を有しているかをチェックします.このとき,400m走記録が同じでも,200m走記録には個人差があるため,記録の範囲も考慮し,著しくスピード能力が不足している場合は,スピードの強化が優先される課題となると言えます.
    

表3  100m走目標タイムに対する最大走スピード, スタートダッシュ, 加速走タイム(松尾, 2010より筆者作成)




図1  400m走記録と200m走記録の関係(山元ほか, 2019b)

男子:200m走記録(秒)=0.365 × 400m走記録(秒) + 4.368
 女子:200m走記録(秒)=0.365 × 400m走記録(秒) + 4.579


表4  目標とする400m走記録を達成するための200m走記録の目安(山元ほか, 2019b)



 なお,200m走のタイムは,トレーニングでの測定も可能ですが,できればある程度身体のコンディションが良い状態で競技会に出場し,自身のスピードを把握することが大切であると思われます.これは,近年の世界トップレベルのアスリートが,400m走だけでなく,200m走においても高いレベルの競技会に出場し,好記録をマークしていることからも伺えます.
 一方,スピードが重要とは言っても,上述した400m走の特性上,スピードのみによってパフォーマンスが決定されるわけではありません.そこで次に,スピード持久力のアセスメントを行います.


    

4. 400m走競技者の「スピード持久力」
 「スピード持久力」という言葉は広く一般的に用いられますが,その定義は曖昧であり,ひとつの指標によって評価を行うことは困難です.400m走のスピード持久力の指標として,レース中のスピード低下が用いられますが,スピード低下はペース配分の影響を受けるため,レース中のスピード低下のみでスピード持久力を評価することは適切とはいえません(極端に言えば,レース前半をジョギングで入れば,スピード低下は0になります).
 そこで,400m走競技者のスピード持久力を簡易的にアセスメントする方法として,以下の指数が提案されています(Hart, 1981;山元ほか,2019b)

スピード持久力指数 = 400m走記録 ― 200m走記録 × 2


 スピード持久力指数は,値が小さいほど,400m走記録と200m走記録の差が小さい=スピード持久力が高いと判断することができます.表5は,パフォーマンスレベル別のスピード持久力指数の目安を示したものです.スピード持久力指数が小さい場合は,400m走記録に対してスピード持久力レベルが充分に高いため,パフォーマンスの向上のためにはスピードの向上がトレーニング課題になると考えられます.一方,スピード持久力指数が大きい=スピード持久力に改善の余地がある場合は,スピード持久力の向上がトレーニング課題になると考えられます.スピード持久力には,様々な技術および体力要因が関連しており,それらについての詳細なアセスメントを行う必要があります(これについてはコラム第60回「400m走のスピード低下に影響する技術と体力」をご覧ください).
 と,その前に,「スピード持久力指数」によるスピード持久力の評価は,①400m走および200m走の記録が個人のその時点での最高パフォーマンスを示している,②ペース配分が適切に行われている,ことが前提となります.そのため,ペース配分についてもアセスメントを行う必要があります.



    
表5  競技レベル別のスピード持久力指数の目安(山元, 2019b)



5. 400m走競技者の「ペース配分」
 400m走のペース配分(レースパターン)については,本コラムで繰り返し紹介してきました(第35回第102回など).図2は,400m走における走スピードの変化を示したものであり,表6は,タイプ別のモデルレースパターンを示したものです(山元ほか,2014,2019a;山元,2017).これらのモデルと実際のレースのペース配分(細かな分析は難しいと思うので,100m毎の通過タイムなど)を比較することで,現在のペース配分の特徴や,目標タイムのペースとの違いを知ることができます.

図2  400m走における走スピードの変化(山元, 2017;山元ほか, 2019b)



表6  400m走におけるモデルレースパターン(山元, 2017;山元ほか, 2019aより筆者作成)


 また,これらに加えて,レース前半のペースは,200m走の記録から考えることもできます.「400mレースの200m通過タイムが200m走自己ベスト記録プラス何秒であったか」を「相対ペース」として考えます(山元,2019).

相対ペース(秒) = レースの200m通過タイム(秒)― 200m走自己ベスト記録(秒)


 相対ペースの目安は1.0秒(高校生女子は1.5秒)であり,高校生から世界トップレベルではおおよそ0.5-1.5秒(高校生女子は1.0-2.0秒)の範囲になります.
 これらをもとに,ペース配分をアセスメントしていきます.まず,レース前半と後半のタイム差である「前後半差」をチェックします.前後半差は,男女,競技レベル,タイプによって異なりますが,この値が著しく大きかったり小さかったりする場合は注意が必要です.
 前後半差が著しく大きい場合の原因は,主に「前半のオーバーペース」と「スピード持久力不足」が考えられます.そこで,前半のペースについて,相対ペースをチェックします.相対ペースが速すぎない場合は,スピード持久力が不足していると考えられます.一方,相対ペースが速い場合は,前半がオーバーペースであると考えられるため,前半のペースを抑えることで前後半差を小さくすることができ,結果としてパフォーマンスが高まることが期待できます.あるいは,最大スピード能力(≒200m走記録)を高めることで,前半200mの通過タイムが同じでも,相対ペースを下げることになり,後半のスピード低下を抑制することができるとも考えられます.また,反対に前後半差が小さい場合は,相対ペースが遅い場合は「前半がスローペース」であると判断でき,相対ペースが標準もしくは速い場合は「スピード持久力が高い」ことが考えられます.
 このように,相対ペースと前後半差の関係を利用することで,個々人のペース配分とスピード持久力を関連づけて評価することができると考えられます.表7および図3は,相対ペースと前後半差の関係を示したものです.例えば,相対ペースが同じ1.0秒でも,前後半差が2.0秒(スピード持久力指数=4.0)の競技者もいれば,前後半差が3.0秒(スピード持久力指数=5.0)の競技者もいることがわかります.これらを利用することで,400m走競技者のペース配分の評価および目標設定を行うことができると考えられます.




表7  相対ペース・前後半差・スピード持久力指数の関係



図3  400m走における競技レベル別の相対ペースと前後半差の関係

(横軸)相対ペース:レースの200通過タイム(秒) ー 200m走自己ベスト記録
(縦軸)前後半差:レース前半の200mと後半の200mのタイム差
(グレー軸)スピード持久力指数:400m走記録 ー 200m走記録 × 2


6. 「個人の課題に応じたトレーニングプログラム」の立案に向けて
 ここまで紹介してきた指標や考え方をもとに,アスリートのアセスメントを行い,明らかとなった課題をもとに,表1のように実際のトレーニングプログラムに落とし込んでいくことになります.
 例えば,スピードの向上が課題となった場合に,どのようなトレーニングプログラムが考えられるでしょうか.そもそも最大スピードの向上を狙いとしたトレーニングをあまり行っていなかった場合は,少なくとも週に1回は,そのようなトレーニング(表1の「スピード」に分類されるトレーニング)を採用することから始めることになるかもしれません.あるいは,週の中で集中してフレッシュな状態で行える日にスピードトレーニングを配置する工夫が必要かも知れません.さらには,スピード持久系のトレーニングを減らしたり,スピード持久系トレーニングをより高いスピードで行う方法(表1の「スピード持久」のAなど)を採用することなども有効かもしれません.一方,毎日ただ短いダッシュを繰り返すことで最大スピードが向上する蓋然性も低いと考えられるため,トレーニング全体のバランスを考慮しながら,トレーニングプログラムを立案することが重要になると考えられます.
 同じように,スピード持久力やペース配分の改善が課題となる場合も,単に該当するトレーニングの量や頻度を増やすだけでなく,週や月の中での配置や,他のトレーニングとの兼ね合いも考えることが重要になります.当然,時期(準備期,試合期など)やチームの状況等によっても異なるでしょう.
 いかがでしょうか.「ダラダラと御託を並べやがってうるせえなあ,結局どうやったら手っ取り早く速くなるのかさっさと教えろや」と思われたでしょうか(よくいろんな方から言われます).冒頭でも触れたように,多くの人があらゆる前提条件を抜きに,「AというトレーニングとBというトレーニング,どっちが効果ありますか?」と問うて憚らないのが実情です.再び医療に例えるなら,あらゆる病気に効く「万能薬」を求めます.疲れたときのリ◯Dとかバ×ァリンならいいかも知れませんが,症状や個人の状態に合わせて最適な処置は変わるはずです.安価な市販薬で,人生を左右する大病を治せるでしょうか.
 『400m走には様々な要素が影響するため,様々な特徴を持った競技者がおり,様々なトレーニングのアプローチが可能です.全ての競技者に当てはまる「正しいトレーニング」をどこかの誰かに求めるのではなく,競技者個々人の課題と目標を踏まえ,競技者とコーチによって考え抜かれた「正しいと信じるトレーニング」を行えることが理想であると思います.』(山元,2019). 本コラムで紹介したデータが,コーチやアスリートの皆さんがトレーニングを考える一助となれば幸いです.

    

7. おわりに
 ところで,かつて病気は「因果」や「呪い」の仕業と見なされ,治療には修験者の祈祷が用いられていたそうです.
 我々は今,病気になったとき,祈ることも,医者にかかることもできますね.
 私もしばしば,筑波山神社にお詣りに行きます.

 『忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光りを失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に踊り入って、再びその姿を見なかった。』

―中島敦『山月記』


問い合わせ   kyama1638@gmail.com
 
参考文献
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2019年9月23日掲載

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