レース分析をもとにした400m走のコーチング

研究員 山元康平

Rikupediaご覧のみなさま,こんにちは.平成28年度博士課程修了の山元です.
 私は昨年度,「陸上競技男子400m走における高いパフォーマンスを達成するためのレースパターンに関する研究」という研究で博士号を取得しました.
今回は,その博士論文の内容を紹介するとともに,これまでの研究によって得られた知見をもとに,レース分析をもとにした400m走のコーチングモデルについて考えてみたいと思います.2013年の第2回コラムから数えて5年で9回目,私が担当する最後のコラムになると思います.少々長いですがご笑覧頂ければ幸いです.
 400m走は,陸上競技短距離走種目の中でも最も走行距離の長い過酷な種目です(Quercetani, 2005) .400m走は,短距離走種目と位置付けられているものの,男子でも40秒以上の競技時間を要し,スタートからフィニッシュまで,レース全体にわたって全力疾走を維持することは困難であり,高いパフォーマンスを達成するためには,適切なペース配分が重要となります (Abbiss and Laursen, 2008;Schiffer, 2008) .ペース配分は,国際的には,“pacing strategy”や“speed distribution”といった用語が用いられますが (Abbiss and Laursen, 2008; Saraslanidis et al., 2010;Schiffer, 2008) ,国内では「レース中の走速度の変化パターン」として評価した「レースパターン」という用語を用いるのが一般的です(門野ほか,2016;森丘ほか,2000;尾縣ほか,2000).レースパターンは,パフォーマンスに大きく影響する要因としてコーチや競技者からの関心も高く,これまでにも,国内外の競技会において組織的な調査が度々行われて,研究が進められてきました(Brüggeman and Glad, 1990 ; Ferro et al., 2001;持田・杉田,2010,山元ほか,2015,2016b).そして近年,映像重ね合わせ技術(Overlay表示技術)を利用した新たな分析手法が提案されたことで(Overlay方式,持田ほか,2007),400m走のレースパターンに関する従来よりも詳細なデータを,公式競技会において収集することが可能となりました.Overlay方式は,対象とする400m走のレース映像と,距離較正用の画像(主に400mHのハードル映像を用います)を合成表示することで,400m走中の通過タイムを読み取る方法です.私たちの研究グループは,この方法を利用することで多数の競技会でデータを収集し,幅広い競技レベルのレースパターンのデータをもとに研究を行いました.
博士論文の主な内容は以下のとおりです.
研究課題1:陸上競技男子400m走におけるレースパターンとパフォーマンスとの関係
研究課題2-1:陸上競技男子400m走におけるレースパターンタイプの異なる競技者の体力特性
研究課題2-2:陸上競技男子400m走におけるレースパターンタイプの異なる競技者の疾走動態
研究課題3:陸上競技男子400m走におけるパフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化
総合考察:レース分析をもとにした400m走のコーチングモデル

以下,各研究課題について概説します.
 研究課題1では,400m走パフォーマンスとレースパターンとの関係について検討したところ,従来指摘されてきたようなレース全体や終盤での走スピードの低下とパフォーマンスとの関係は必ずしも強くないこと,一方で,パフォーマンスの高い競技者は,スタート後100mから300m付近における走スピードの低下が少なく,レースの中盤区間において高い走スピードを発揮していることが示唆されました.同時に,パフォーマンスとペース配分に関する指標(区間タイム比や走スピード低下率)との関係は,比較的弱いものであり,いずれのパフォーマンスレベルにあっても,様々なレースパターンを示す競技者が存在することが示唆されました.さらに,統計的な手法を用いて対象者を「後半型」,「中間型」,「前半型」の3つのタイプに分類し,タイプ別のモデルレースパターンを作成しました(詳細はコラム第35回http://rikujo.taiiku.tsukuba.ac.jp/column/2014/35.html,山元ほか,2014 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/59/1/59_13064/_article/-char/ja/参照).
 研究課題2-1では,先行研究において,400m走パフォーマンスやレースパターンのタイプ,レース中の走スピードの低下度合いと関連する可能性が示唆されている無酸素性能力(最大酸素借,MAOD),有酸素性能力(最高酸素摂取量,VO2peak),筋力および筋パワーの発揮および持続能力(30秒間全力ペダリング中のパワーおよびパワー低下率)について,前半型と後半型の競技者間で比較を行いましたが,いずれの体力因子についても,前半型と後半型との間に差は認められませんでした.このことは,充分にトレーニングを積んだ400m走競技者においては,レースパターンのタイプは,必ずしも競技者の体力特性によって決定されるものではないことを示唆しています.一方で,本研究で測定した以外の体力因子が,レースパターンのタイプに影響を及ぼしている可能性も考えられ,それらの因子のさらなる究明とともに,競技者の体力特性をもとにした適切なレースパターンの選択方法についても探求が必要になるものと考えられます.
 さらに研究課題2-2では,レース前半の走スピードが高い前半型と,レース後半の走スピードの低下が小さい後半型について,ステップ頻度(いわゆるピッチ)およびステップ長(いわゆるストライド)の変化からみた疾走動態を比較したところ,前半型は,レース前半のステップ頻度が高く,後半型はレース後半のステップ長が大きいという特徴が見られました.これらのことから,400m走のレースパターンのタイプには,レース前半から中盤にかけてのステップ頻度のコントロールおよびレース中盤から後半でのステップ長の維持能力が影響している可能性が示唆されました(図1,山元ほか,2017).
 そして研究課題3では,400m走のパフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化について個人内で縦断的な検討を行ったところ,400m走のパフォーマンスが向上(自己最高記録の更新)する際,100-300m付近の走スピードが向上していました.一方,タイプ別の比較では,後半型は,レース前半から中盤における走スピードが,前半型は,レース中盤から後半における走スピードが,それぞれ向上しており,レースパターンのタイプによって,パフォーマンス向上の際に生じる変化は顕著に異なることが示されました(図2,山元ほか,2016a).
 研究課題1および2の結果から,400m走において高いパフォーマンスを達成するためのレースパターンの特徴とモデルレースパターン,それに影響を及ぼす要因が明らかとなり,レースパターンを適切に評価し,目標設定を行う上での基準を提示することができました.また,研究課題3の結果から,パフォーマンス向上の際に生じる変化はレースパターンのタイプによって顕著に異なることが明らかとなりました.
 これらをもとに,複数年にわたるパフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化について見てみると,図3は,ある選手の大学4年間の各年度の年度内最高記録を達成したレースにおけるレースパターンを示したものです。対象者は,大学2年時の年度内最高記録を達成したレースにおけるレースパターンは,レース前半の走スピードが高く,後半のスピード低下が大きい典型的な「前半型」のレースパターンでしたが,翌シーズンでは,レース前半の主観的努力度を抑え,走スピードの低下を抑制することを意図し,レースパターンの改善を試みたところ,大学3年時および4年時には自己最高記録を更新し,このときのレースパターンは,走スピードの低下が小さい「後半型」のレースパターンに変化していました.また,2年目から3年目にかけて,200m走の記録が著しく改善されており,このような基礎的な走能力の変化と競技者の主観的なペース配分が相互に関連することで,レースパターンの変容が生じ,パフォーマンスが向上したと考えらます。同様に,日本記録保持者である髙野 (1988, 1993) は,自身のパフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化について,400m走を専門的に取り組むようになってから初めて日本記録(46.51秒,1982年)を樹立するまでは,前半と後半のタイム差が大きい「前半型」,1988年のソウルオリンピックにおいて44秒台(44.90秒)をマークした際は,前半と後半のタイム差が小さい「イーブンペース型」,そして世界選手権,オリンピックで決勝進出を果たした1991年,1992年時点では,再び前半と後半のタイム差が大きい「前半型」に移行していたと述べています。1991-1992年の国際大会に向け,レースパターンを「前半型」に変更することに取り組み,そのために,1989-1990年はスピード強化期間と位置づけ,100m走や200m走に取り組み自己ベストを更新しています.
 これらの事例からもわかるように,レースパターンは,400m走パフォーマンスを評価するための最も基本的な指標であり,レース分析によって個々の競技者のトレーニング課題を明確にし,400m走競技者のトレーニングをマネジメントし個々の競技者の特性に応じた効果的なコーチングを行うことができると期待できます.そして,上述した各研究課題で明らかとなった研究成果は,個々の競技者のレースパターンの評価,診断,目標設定を行うための基礎的な知見となると考えられます.図4は,図子 (2014) のトレーニングサイクルにおける循環モデルをもとに,レース分析をもとにした400m走のコーチングモデルを示したものです.まず,レース分析データをもとに,現状のパフォーマンスの評価,診断を行います.同時に,関連する技術および体力的な特性についても評価することで,トレーニング課題を設定し,トレーニングの計画および実践を行います.このとき,評価および目標設定の基準として,我々の作成したモデルレースパターンを利用することができます.そして再び出場したレースの分析を行い,評価,診断,課題設定,計画,実践というサイクルを循環させていくことで,常に課題を明確にしながらトレーニングをマネジメントすることが可能となります.さらに長期的には、上述した学生競技者や髙野の事例のように,現在とは異なるタイプのレースパターンの採用,そのための技術および体力特性の改善への取り組みも必要になると考えられます.

おわりに
 本コラムでは,私の博士論文の研究成果をもとに,レース分析をもとにした400m走のコーチングモデルについて示してきました.400m走のコーチングにおいては,レース分析をもとに個々の競技者の特性を適切に評価し,関連する技術および体力的な特性と合わせて評価することで,トレーニング課題を明確にし,コーチングを実践していくことが重要であると考えられます.我々の研究によって明らかとなったパフォーマンスの高い競技者のレースパターンの特徴やタイプ別のモデルレースパターン,レースパターンのタイプに影響を及ぼす要因,パフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化の傾向は,これらのコーチング実践に資する基礎的な知見となることが期待できます.一方で,我々の研究は基礎的な情報を提供したにとどまっており,「個々人の特性に応じた適切なレースパターンの選択方法の究明およびトレーニング方法論の体系化」という最も重要な研究課題は未だ解決できていません.今後,現場のコーチングスタッフと,それをサポートする科学スタッフが高いレベルで密接に協力し合い,上述した研究課題の解決とコーチングモデルの体系化がなされ,400m走競技者のパフォーマンスがさらに向上することを祈念するとともに,私自身も継続して研究および実践に取り組んでいきたいと思います.
 最後に,本ホームページは,2013年,本研究室在籍学生が現在の3分の1程度しかいなかった頃,当時大学院生であった小野真弘君(平成25年度修了),関慶太郎君(現体育科学専攻大学院生)と研究室を盛り上げ,情報を広く発信しようという思いから立ち上げ(実際のHPの作成および運営には関君の多大な尽力がありました.この場を借りて改めて御礼申し上げます),また本コラムは,衛藤昂君(平成26年度修了,現味の素AGF)の命名によって始まったものです.おかげさまでホームページは5年目を迎え,コラムの連載は100回を超え,博士課程,修士課程,学群生の在籍数も当時を遥かにしのぐものとなりました.読者の皆様の日頃のご支援に深謝申し上げますとともに,今後も変わらぬご愛顧のほど,何卒よろしくお願い申し上げます.
ご意見ご質問はkyama1638@gmail.comまで.

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図1 400m走における走スピード,ステップ頻度およびステップ長の変化(山元ほか,2017を改変)
*: p<0.05 前半型 vs 後半型


図2 400m走パフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化 (山元ほか,2016を改変)
 Pre:post以前の自己最高またはそれに近い記録を達成したレース
 Post:自己最高記録を達成したレース
 *: p<0.05 pre vs post

図3 400m走パフォーマンス向上に伴うレースパターンの変化事例 (山元ほか,2016aを著者改変)
 (A) 走スピードの変化 (B) 前後半差の変化

図4 レース分析をもとに400m走のコーチングモデル (図子,2014をもとに著者作成)


参考論文:
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2017年9月5日掲載

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