やり投げ競技者にとって重要な体力要素とは? 下肢編

研究員 中野美沙


1.はじめに
 筑波大学陸上競技研究室コラム「Rikupedia」をご覧の皆さま,はじめまして.筑波大学体育系研究員の中野美沙と申します.陸上競技コーチング論研究室に所属しております.今回,本コラムを初めて担当致します.
 私はやり投げを専門種目として競技に取り組むのと並行して,やり投げを題材にした研究を行ってきました.長年の競技生活で得た多種多様な有形無形のもろもろは,今の私を形作る上で欠かせないものとなっています.現在は陸上競技部のアシスタントコーチとして指導の現場に立ちながら,やり投げだけではなくいろいろな研究に取り組んでおります.


 

2.やり投げには助走・クロスステップがある
 みなさんご存知の通り,やり投げは「助走→クロスステップ→投げ動作」を一連の流れとする投擲種目で,他の投擲種目にはない「助走」「クロスステップ」という局面があるため,サークルは用いずに助走路から投げ出す,という特徴を有しています.やり投げをしたことのある方は,立ち投げよりも助走をつけての投げのほうがより遠くへ投げられることをよく理解されていると思います.やり投げの記録を決定するバイオメカニクス的要因はいくつもありますが,その中で記録をほぼ決定するのは,やりのリリース速度(投げ出し速度)です.すなわち,投げ出しの速度が高ければ高いほど遠くへやりが飛ぶ,ということです.したがって,やり投げの運動課題をごく簡単に言うと,助走でエネルギーを身体に蓄えること,そして助走で得たエネルギーをできるだけやりに伝えて大きなリリース速度を生み出すこと,といえます.テレビで国際大会の様子を見ると,日本の競技者が外国人競技者より小さいことがよくわかりますが,この「助走」があることが,体格的には世界のトップ競技者に劣る日本の競技者が世界レベルで活躍できる大きな要因の一つだと考えられています.


3.やり投げ競技者の体力的要因に関する研究
 一般的に,やり投げ競技者は,他の投擲種目の競技者と比較すると細身で,いわゆる「スピード」や「バネ」が必要だと言われることが多いようです.一方,筋力はもちろん大事ですが,他の投擲種目の競技者ほどには必要と言われていないのではないか,と筆者は感じています.
 では,本当に必要とされるやり投げ競技者の体力的要因とは何なのでしょうか? スピードでしょうか,バネでしょうか,筋力でしょうか.「肩が強い」ことでしょうか. もし,スピードやバネだけが必要なのであれば,短距離競技者や跳躍競技者がやり投げをすればいい,ということになります.筋力だけが必要なら,砲丸投げ競技者のほうがやり投げにむいているかもしれません.
 前田ほか(2019)は,幅広い競技レベルの男子やり投げ競技者を対象に,やり投げ自己記録とコントロールテスト項目の自己記録との関係を検討し,やり投げ自己記録とどのような項目との間に相関関係が認められたかを示しました(こちらはオンラインで読める論文ですので,URLを示しますhttp://sports-performance.jp/paper/1922/1922.pdf).その結果,やり投げの自己記録と強い関係を示した項目は,スナッチおよびクリーンの最大挙上重量,立三段跳,立五段跳,助走付き五段跳,砲丸のフロント投げおよびバック投げなどであったことを報告しました.海外のレポート(Ihalainen, 2018)を見ても,同様の結果を示しています.これらのことから,やり投げ競技者には,全身の高い筋力からいわゆるバネの能力まで,幅広い能力が必要とされることがわかります.


 

4.やり投げ競技者の「バネ」に注目!
 やり投げ競技者とその他の投擲競技者とを比較することで,やり投げ競技者の体力特性を明らかにした研究もみられます.田内ほか(2003)は男子を対象に,やり投げ競技者と他の投擲種目の競技者を対象にジャンプ運動を行い,やり投げ競技者は極めて短時間でのジャンプ運動や負荷の軽い状態での反動動作によるジャンプ運動におけるパワー発揮能力が重要であると報告しています.この研究からヒントをもらい,私たちは女子の投擲競技者を対象にした研究を行いました(中野ほか,2007).表1および2に結果を示します.






 立幅跳や垂直跳といった静止状態からのジャンプでは,やり投げ競技者と他の投擲競技者との間にパフォーマンスの差は認められなかった一方,立三段跳や立五段跳,ドロップジャンプ(台から跳び下りて,地面に着いた瞬間に再びできるだけ速く,できるだけ高く跳びあがるジャンプ)やリバウンドジャンプ(その場で,地面に着いている時間をできるだけ短くしながらできるだけ高く跳ぶジャンプを5回繰り返すジャンプ)といったジャンプでは,両者共「やり投げ競技者のほうが他の投擲競技者よりも強い(短い接地時間でより高く跳ぶことができる)」という差が認められました.これは,女子のやり投げ競技者が,下肢の爆発的なパワー発揮能力を有していることを示唆するものです.すなわち,男女共に,やり投げ競技者は「下肢の爆発的なパワー発揮能力を有すること」が明らかとなりました.言い換えると,やり投げ競技者は他の投擲競技者よりもバネに優れた競技者が多いということができるということです.このことから,やり投げ競技者にとって,走ったり跳んだりするトレーニングは非常に重要であるといえるでしょう.


5.立五段跳の記録とやり投げ記録との関係 実際のところどうなの?
 ここまで,多くの競技者を対象とした研究を概観してきましたが,競技者ごとにみてみるとどのようになるのでしょうか.例として,ある女子競技者4名のやり投げ記録と立五段跳のパフォーマンスとの関係を見てみましょう(未発表資料,表3).やり投げの試合結果と,その試合と近い時期に測定した立五段跳の記録とを表で示しています(値は抜粋になりますが,恣意的な抜粋ではなく,残していた記録を挙げてまとめたものです).



 表の内容をまとめると,以下のようになります.
          競技者A・・・立五段跳の記録がいい時はやり投げ記録もいい
          競技者B,D・・・立五段跳の記録がいいとやり投げ記録が悪い
          競技者C・・・バラバラで,一定の関係が認められない
 いずれの競技者も検討数が少ないためにはっきりしたことはわかりませんが,みんなが同じ傾向を示さない,つまり個人差が大きい,といえそうです.こういった個別での検討は,他の要素も交えながら今後もっと行っていかなければならないと考えています.
 加えて,競技者Cの年間(4月から10月)を通しての試合記録の平均値と立五段跳の平均値を,ⅠおよびⅢの2年間で比較してみます(表4).



 競技者Cの場合,試合の平均記録も立五段跳の平均記録もⅢの年のほうが良かったという結果を示しました.1つ1つの試合と立五段跳の間には一定の関係が認められませんでしたが,年間という大きなスパンで見た場合,「立五段跳の平均記録が向上するとやり投げの平均記録も向上した」といえます .立五段跳の変化はやり投げにどのような変化を及ぼすのでしょうか.競技者Cに聞いたところ,「立五段跳が伸びたからといって(やり投げをする上で)特に変化は感じていない」とのことでした.一方,筆者はその昔,立五段跳が跳べるようになってクロスが楽に進めるようになった感覚がありました.数字としてだけではなく感覚的にも個人差が大きいと考えられ,詳細は今後の検討課題です.
 このように,多くの競技者を対象としてみると立五段跳の記録がよければやり投げ記録がよいという関係(正の相関関係)が認められるものの,一人ひとりの競技者ごとにみてみると必ずしもその関係が当てはまらないようです.競技者にはそれぞれ個性があります.研究でわかることと現場でわかることが常に一致するとは限りません.このギャップが難しくも面白いところですね.


 ここではジャンプ運動の1つである立五段跳を取り上げ,やり投げ記録との関係を個人内で検討しました.やり投げ記録にはさまざまな体力的要因や技術が影響しているため,1つの体力要素だけからやり投げという大きなものを考えるには限界がありそうです.とはいえ,やり投げ記録の向上のためにトレーニングを進めていく上で,やり投げ記録と相関関係がある項目は指標の1つとして大きな手がかりですので,立五段跳やその他の記録に着目することは,有効な手立ての1つであると考えられます.


6.やり投げ競技者にとってのバネとは まとめ
 ここまで,やり投げ競技者に必要な体力要素を,特に下肢に着目して考察しました.やり投げは複雑な全身運動であり,下肢だけではなく体幹や上半身を含む全身のコーディネーションが不可欠です.また,個人差が大きいことも常に頭においておく必要があると考えられます.さらに,体力だけではなく技術の要素は非常に重要です.したがって,バネ能力の向上が直接的にやり投げ記録を向上させるというよりは,「やり投げ競技者が下肢のバネ能力を高めるとやり投げ記録の向上につながる可能性がある」と捉えていただければと思います.しかし,「なぜ記録の向上につながる可能性があるのか」は様々な可能性が考えられるものの,いずれも推測の域を出ません.引き続き筆者の宿題とさせていただきます.


7.今,やり投げ競技者がやれる・やるべきトレーニングとは!
 外出自粛が緩和され,スポーツ施設の利用が徐々に可能になってきています.また,部活動も徐々に再開されてきているようです.とはいえ,活動自粛が続き,思うようにトレーニングができていなかった皆さんも多いと思います.
 トレーニングや部活動の再開にあたり,やり投げ競技者はどんなトレーニングをしていけばいいでしょうか.記録向上にはもちろん技術的な練習が不可欠ですが,多くの方は体力が低下していると思います.また,これから暑くなる季節でもありますが,暑熱順化(暑さに身体の調節機能が適応していくこと)が進んでいない場合は熱中症の危険が高まります.今のようなブランクからの立ち上げの際は,急激に負荷を上げるのではなく,徐々に慎重に立ち上げるなどの注意が必要だと考えられます.焦って一気に取り戻そうと頑張りすぎないようにしましょう.
 継続的にトレーニングができるようになってきたら,手始めにやり投げの自己記録と関係のある体力要因を回復・向上させることから取り組んでみてはいかがでしょうか.砲丸のフロント投げ・バック投げの距離,ウエイトトレーニングでよく行われるスナッチ・クリーンの最大挙上重量は,やり投げ自己記録との間にそれぞれ有意な正の相関関係が認められていますので(Ihalainen, 2018;前田ほか,2019;中野と大山,2020),全身の爆発的な出力を高める優先順位は高く考えていいと思います.また,本稿で述べてきたように,下肢のバネを高めるトレーニングも有効であると考えられます.バウンディングなどは効果的なトレーニングの1つでしょう.ジャンプトレーニングを行うにしても,その場からのジャンプ(例.立幅跳)よりも,スピードがある中でのジャンプ(例.助走付き五段跳,スピードバウンディングなど)を重視してみるといいかもしれません.同時に,バウンディングの能力を高めるための方策をフォームや片脚運動から考えてみる,跳躍専門競技者のトレーニングを参考にする,身体の使い方や感覚を追求してみる,などの取り組みは,柔軟な発想を生むのではないでしょうか.このような身体と頭のトレーニングは一見やり投げと直結していないようですが,やりを投げる時に必ず生きてくるはずです.

 上記はトレーニング選択の一例です.同じ競技者が同じトレーニングを行うとしても,状況やタイミングによってその選択が正解であったり不正解であったりしますよね.正解は1つではありませんし,常に変化していくものだと思います.本稿がトレーニングの選択に当たり,根拠を持って必要なトレーニングや目標を設定する一助になれば幸いです.

 内容に対するご意見・ご感想,ご質問やご要望等ございましたら,
中野(nakano.misa.ga@u.tsukuba.ac.jp)までお気軽にご連絡いただけますと幸甚です.また,良いやり投げのトレーニングなどがありましたら,ぜひご教授ください.よろしくお願いいたします.

参考文献
前田奎・山元康平・広瀬健一・大山卞圭悟(2019)男子やり投競技者における各種体力の標準値.スポーツパフォーマンス研究,11,446-458.
中野美沙・大山卞圭悟・尾縣貢(2007)国内女子やり投競技者の体力特性―各種跳躍運動の遂行能力と体幹筋力に着目して―.陸上競技研究,71,37-44.
中野美沙・大山卞圭悟(2020)女子やり投げ競技者における自己記録とコントロールテスト結果との関係の検討.陸上競技学会誌,19,印刷中.
田内健二・眞鍋芳明・宇戸田実也・大山卞圭悟(2003)各種跳躍運動におけるパワー発揮能力からみた投擲競技者の体力特性.陸上競技研究,52,22-29.
2020年5月30日掲載

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