RIKUPEDIAをご覧の皆様,MC2の中国人留学生の張碩と申します.本コラムでは,スポーツ競技者のタレント発掘とその育成(Talent Identification & Development, TID)についてのいくつかの研究や日本国内で実施されている事業,そして今後の課題を紹介させて頂きたいと思います.よろしくお願いいたします.
1.タレント発掘と育成(TID)とは?
一般的なタレント(talent)は才能や技能のことを示しますが,スポーツにおけるタレント(talented in sports)は,和久(2016)により,「限られた時間の中で国際競争に耐え得る水準のパフォーマンスを獲得し,それを定められた期日と時間内に最大限に発揮し,相手との競争において優位性を保持し続け,最終的に優位に立っている能力」と定義されています.つまり,スポーツタレントを有するものは,「ある競技種目における国際競技大会での競争の中で最終的にメダル獲得の潜在能力を発揮できる者」であると言えます.これらのことに基づいて,松永(2015)は,先述したような能力を持つ人材を発見し,オリンピックなどの世界レベルの大会で活躍する競技者を輩出することを最終目標とし,その潜在能力を引き出すことがタレント発掘と育成(TID)であると述べています.
以上のTIDの定義についての研究から,TIDは競技者が世界レベルの競技大会で活躍できるようになるのに非常に重要な役割を果していると考えられます.
また,中国の元オリンピック委員会主席の袁伟民は,先天的に優れた運動才能を持っている競技者だけがスポーツ競技のトップレベルに達することができると述べています(曾凡辉ほか,1998).つまり,競技者自身の素質であるタレントを発掘することは,指導者の専門知識や指導経験によって引き出される潜在能力の発揮の前提となり,より重要な課題であると考えられます.果たしてどのようにして競技者のタレントを発掘するのでしょうか?
2.日本におけるTID事業の実施
日本では,2004年に福岡県で始められたタレント発掘事業を皮切りに,全国各地でタレント発掘と育成事業が開始されました.勝田ほか(2005)は,その具体的な方法として,福岡地区の小学4,5年生の児童を対象に,「走る,跳ぶ,投げる」といった基本的な運動能力を測定し,選抜された子供たちに対して中学卒業時まで科学的なトレーニングや能力開発,育成プログラムを作成し,その子供たち一人ひとりに適した競技種目を紹介する試みを行ったと述べています.他にも竹村ほか(2017)および矢野・鵤木(2017)が小,中学生を対象に体力テストを行うことによるTID事業に関する研究を報告しているように,タレントのある競技者の発掘は以上に述べたような選考の結果に基づき行われています.
このようなTID事業について,松永(2015)は,選考項目などの実施内容は各地域の環境や実状などの特性に応じているため,発掘時期や育成期間は地域によって異なると報告しています.また,松井(2015)は,TID事業は初めから競技を絞って発掘,育成する「種目特化型」の事業と,まず能力の高い子供を発掘し,育成して適性のある競技につなげていく「適性種目選択型」事業の大きく2種類に分かれていると報告しています.これらのことから,TID事業は既に各地で展開されていますが,地域差や個人差が存在している以上,一律の指標を立てるのは非常に困難であると考えられます.さらに,平成29年8月1日まで,TID事業に参加している地域は日本全国で26ヶ所であるという現状から(衣笠ほか,2018),日本におけるTID事業はまだまだ発展中であると考えられます.このような発展の中で,TID事業についての新たな知見も浮かんできました.
3.TID事業の新たなる発展――種目転向の重要性
近年,種目転向が競技者の育成に与える好影響が注目されてきているため,種目転向もTID事業の一つにすべきではないかという声も出ています.
Jason(2004)は,「種目転向または種目トランスファーとは,既にある特定の競技を専門的に行っている競技者に対して,その能力や身体的特性を他の種目で生かす機会を提供しようとするものである」と定義しています.また,種目トランスファーには競技間トランスファーと種目間トランスファーがあり,前者は異なる競技種類の間に生じるトランスファーであり,後者は競技の中にある異なる種目の間に起こります.渡邊ほか(2013)は,日本の一流競技者の競技歴に関する量的・質的なエビデンスを収集・分析することを目的として,1960年以降の50歳未満の陸上競技日本代表104(男子67名,女子37名)にアンケートを実施しました.その結果は表1に示したようになります.表1から,競技間トランスファーについては,小学校から中学校までで約9割,中学校から高校までで約3割,種目間トランスファーについては,中学校から高校までで約半数,高校から大学または実業団までで約3割であることが分かりました.種目間トランスファーには,中学校期になく高校期から導入される種目への移行や,歩または走種目における距離変更なども含まれていますが,いずれにせよトランスファーを経験している日本代表は少なくないことが分かりました.
4.今後の課題
まず,竹村ほか(2017)は,宮城県で実施しているスポーツタレント発掘・育成事業の選考会に参加した小学校3年生1,056名(男子:619名,女子:437名)を対象として,誕生月別の体力・運動能力(握力・長座体前屈・反復横跳び・上体起こし・立ち幅跳び・20m走)の比較から分析しました.その結果,「4-6月」と「10-12月」および「1-3月」に相対的年齢効果(相対的年齢効果とは,学年の切り替え日直後「日本では基本的に4月」に生まれた者と切り替え日の直前「日本では基本的に3月」に生まれた者と最大1年の年齢差が生じることにより,一定の身体的及び心理的発達差が発生する現象です.)が認められました.しかし,相対的年齢効果が成長や発育発達に伴い消失していくことが報告されているため(森丘,2014),一律の基準に基づく選考は「晩熟型」の児童を見落とす可能性が十分あると推測できます.従って,竹村ほか(2017)は,TID事業における選考などを実施する際に,相対的年齢効果に対して考慮し,具体的な対応策を検討すべきではないかと提案しています.
そして,竹村ほか(2018)がスポーツタレント発掘・育成事業の最終選考会に参加した小学 3 年生 220 名(男子:111 名,女子:109 名)を対象として,選考合格者の体力や運動能力特性について検討した結果,男子と女子では優れている体力や運動能力に差が存在していることが明らかにされました.また,スポーツにおけるTID事業は長期にわたる不確実性の高い事業であることが指摘されており(谷所ほか,2011;谷所ほか,2014),選抜された児童の体力・運動能力などに関する情報もほとんど見受けられないと報告されています(矢野,2017).そのため,タレントを持つ児童の体力・運動能力や競技成績,発育発達状況などを追跡調査し,選考の時期や方法,トレーニング内容とその効果について検証していくことがタレントを持つ人材の競技力向上にとって重要ではないかと考えられます.
以上のことから,小学生期における相対的年齢効果による人材の見落とし,性別による児童の体力や運動能力の相違,そしてTID事業の長期性と不確実性による人材に対する情報収集の難しさなど,様々な解決すべき課題がまだ残っていることが考えられます.研究者はそれぞれの課題に対して検討していますが,具体的な解決対策は各地域の実状に応じたTID事業の実践から学んでいく必要があると考えられます.
5.まとめ
スポーツ競技におけるタレントの発掘と育成(TID)は,トップレベルに達することができるかどうかを決める重要な要素として,常に多くの研究者に注目されています.日本では,2004年に福岡県で始まり,全国各地で同様のTID事業が開始され,現在までに26の地域で実施されています.15年間の試行錯誤を行い,さらに種目転向の貢献も加え,TID事業は常に良い方向に発展しつつあります.その一方で,小学生期における相対的年齢効果による人材の見落としや性別による児童の体力や運動能力の相違などの未解決の問題がたくさんあるため,将来TID事業をさらに発展させるには,研究と実践を同時に進行していく必要があるではないかと考えられます.