『人と人とが織りなすコーチング活動を研究するということ』

MC2 米原博章

RIKUPEDIAをご覧の皆さん,初めまして.MC2の米原博章です.棒高跳を専門に競技を続けております.昨年度は大学を休学し,9か月間アメリカ,テキサス州にありますライス大学陸上競技部のアシスタントコーチとして活動してきました.現地では,競技の最前線に携わることができ,非常に有意義な時間を過ごすことができました.また,大学生レベルから世界トップレベルの選手たちやそのコーチたちと交流する中で,どのレベルの選手に対しても,コーチの働きかけの違いが彼らの競技力に大きく影響することを改めて実感しました.
そこで今回はコーチングをテーマに研究を行う学生の一人として,『人と人とが織りなすコーチング活動を研究するということ』というタイトルで少し書きたいと思います.

①コーチング場面におけるコーチの知

今回のコーチはスポーツ現場におけるコーチングを行う人を指します.スポーツ活動におけるコーチングの目的としては,「勝利」や「記録の向上」,そして同時に「人間力の育成」を含む場合もあります.
このようなコーチング活動について青山(2016)は,コーチは「理論的知識(一般化されている知識)」と「実践的知識(コツやカン)」,「実践的見識(省察や判断)」 を実際のコーチング場面において機能させていることを示しています

②コーチング学研究における研究の対象

コーチング学がその他の研究専門領域と区別して,「コーチング学」として銘打つための根拠として,「人と人とが直接的に関わり合い,影響し合う場の出来事を研究対象とすること」が挙げられます(佐藤,2016,p. 13).もちろん,他の専門領域(力学,生理学,運動学,医学など)から得られる学びにも,コーチング活動において必要となる知見がたくさんあります.ただし,コーチング学研究では,選手とコーチの間で行われる共同作業を通して得られる経験の内容や過程を研究の対象とします.他の専門領域では取り扱うことが極めて困難な,経験の内容や過程の中にこそ,コーチングの醍醐味が潜んでいます.そして,これらを研究するためにはコーチングの実践活動を記述し提示している事例研究(事例報告)が推奨されています.これまでにも事例研究によって,コーチング場面を対象にした研究が行われてきました.

③人間科学的研究からコーチングを総合的に理解する

このように,コーチング学研究を「人と人の間で行われる経験」の研究だとするのであれば,コーチング学研究における事例研究は自然科学的立場でなく,人間科学的立場から行うことが必要になります.
人間科学は,人間を部分的に理解しようとする諸科学の限界と反省から,人間を総合的に理解する科学が求められた結果生まれてきた学問領域です(西條,2003,p. 133).つまり,コーチは実際にコーチングを行う際に「理論的知識(一般化されている知識)」だけでなく,「実践的知識(コツやカン)」,「実践的見識(省察や判断)」を機能させており,言い換えると,コーチングにはコーチの関心や意図,認識が大きく関係しています.よって,自然科学的立場のみからコーチング活動を理解しようとすることは,非常に困難であるために,人間科学的立場からの研究が提案されています.
そして人間科学において1つの現象(研究の対象となる,ある事象)を研究する際に用いられる研究手法として,「トライアンギュレーション」があります.トライアンギュレーションとは,複数の方法(または,データ,理論,研究者)を用いることで,より信頼性のある,妥当性の高い結論を導き出そうとする研究手法です.

  ④異なる研究アプローチを組み合わせる 

トライアンギュレーションを行う際に生じる難点として,哲学的背景が異なる2つのアプローチ(質的アプローチ,量的アプローチ)を同時に扱い,組み合わせるという点が挙げられます.これら双方のアプローチについては,一般的に組み合わせることで有益になるとされています(野村,2016,p. 146).
この難点を解決するためには,そもそもそれぞれの哲学的背景が対抗し,対立した関係で存在していることを理解する必要があります(西條,2003,p. 140).つまり両者はある事象を理解するための考え方である一方で,両者はそれぞれを批判することで確立した考え方であることを理解する必要があります.どちらの立場も唯一絶対的な立場ではない,何かを理解するための数ある考え方の一つであることを念頭に置くことが重要です.
このことを理解することで,両者のアプローチ(考え方)に対して,違いを認め,研究内でお互いの関係を整理することで,役割分担が可能になり,両者を組み合わせて研究することが出来ます.

⑤「発見の文脈」と「正当化の文脈」

一つの人間科学的研究の過程における2つのアプローチの役割について,「発見の文脈」と「正当化の文脈」という視点で区別することが出来ます(野村,2016,p. 147).
「発見の文脈」は,質的アプローチが担います.ある具体的な現象から,メカニズム(因果や理論)を推定します.ここで発見されるメカニズムは,既に多くの人が知っている事象に対する,新しい方法での理解や説明を指します.言い換えると,発見の文脈では,ある事象に対して,新たな見方を取り入れることによって,これまで見えていなかった事象を見えるようにするということ(佐藤,2016,p.16),つまり,新たな可能性を見つけることを指します.一方で,「正当化の文脈」は,量的アプローチが担います.複数の事象を対象に研究をすることで,あらかじめ質的アプローチによって推定されたメカニズムを検証,正当化します.
要するに,質的アプローチは,ある事象の背後にあるメカニズムを推定,言い換えると,事象と事象の間に仮説的に「線」を引く作業を担います.そして,量的アプローチにより,すでに存在するいくつかの線がどのように関係しているのか,どのような条件のもとでそれらの線が引かれるのかを明らかにし,定説的な「線」を生み出していきます.

⑥これからのコーチング学研究への提案

これまでに,コーチング場面を対象に行う研究では,事例研究の有効性が示されてきました.そしてこれからも,コーチング学研究の対象は「人と人との関係」であり,コーチング学研究において事例研究が有効な手法であることに変わりはないでしょう.そして人間科学的立場によって行われた事例研究は,コーチが経験的に気づくことが出来なかったメカニズムにまでも迫ることを助けます.最後にコーチング学研究のモデルを整理します.

〈コーチング学研究のモデル〉

1.ある事象を確認:コーチング現場における課題の確認.
2.ある事象の背景にあるメカニズムを推定:課題の原因を推定,解決策の提案.(発見の文脈)
3.メカニズムの検証:原因の検証,解決策の正当化.(正当化の文脈)

このような研究モデルは決して新しいものではなく,これまでも示されてきました.ただ闇雲に様々な研究手法や理論を用いるのではなく,それらの関係を一度,整理,理解することは,コーチング活動を十分に理解するためには有効です.今まで以上に深く理解できるコーチング研究を行うためにも,それぞれの研究の特徴を活かし,議論をしていきましょう.新元号になった今,改めてコーチング学研究の在り方を振り返ることで,コーチング学研究に携わる学生の一人として,これからのコーチング学研究がより有意義な,実りあるものになるきっかけとなればと思うのでした.



参考文献
青山清英(2016)コーチの学びのメンターとしての『私の考えるコーチング論』.コーチング学研究,29:1-4.
西條剛央(2003)人間科学の再構築Ⅲ- 人間科学的コラボレーションの方法論と人間科学の哲学-.ヒューマンサイエンスリサーチ,12:133-145.
佐藤徹(2016)創造的コーチング研究のために―事例から理論へ―.コーチング学研究,29:13-20.
野村優(2016)批判的実在論に基づいた2つの研究デザインによるトライアンギュレーションの試み-インテンシヴおよびエクステンシヴ概念の再検討を通じて-.立命館産業社会論集,51(4):139-157.
2019年6月17日掲載

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