疲労状態に勝つための能力?―緩衝能力―

MC1 奥平柾道

RIKUPEDIAをご覧の皆様,明けましておめでとうございます.MC1の奥平です.
筑波大学陸上競技研究室のコラム「RIKUPEDIA」をご愛読いただき,誠にありがとうございます.2017年も陸上競技の発展に資するべく,研究・実践ともにより一層精進していく所存です.本年も変わらぬご愛顧のほど,何卒よろしくお願い申し上げます.

さて今回のコラムでは,私の卒業論文での着眼点であった400m走パフォーマンスと緩衝能力との関係についていくつかの文献をご紹介したいと思います.

・そもそも緩衝能力とは何か
 筋活動に必要なエネルギーは主に3つのエネルギー供給系から生み出されています.短時間に激しい運動を行う際,生体内では筋グリコーゲンや血中グルコースなど糖質を分解してエネルギーを生み出す解糖系からエネルギー供給が盛んに行われ,その過程で代謝産物である乳酸ができることが知られています.乳酸は生体内で水素イオンと遊離するため,多く産生されれば生体内のpHを下げる,すなわち生体内を酸性に傾けると考えられています(Robergs et al.,2004).近年,乳酸は直接的な疲労の要因ではないという見解が広まりつつありますが(八田,2016),乳酸は生体内のpH低下すなわち代謝性アシドーシスを引き起こし,筋収縮能やエネルギー供給の阻害など,運動パフォーマンスに悪影響を及ぼすことがこれまで報告されています(Metzger and Moss,1987;Karlsson et al.,1974).このような代謝性アシドーシスが見られるときに働くのが緩衝です.緩衝能力というのは端的に言えば中和する能力のことであり,酸への傾きを打ち消すような作用のことを言います.

・400m走パフォーマンスと緩衝能力
 前村ほか(2005a)は,生体内の代表的な緩衝系である重炭酸緩衝系に着目し,生体内の重炭酸イオン(HCO3-)が水素イオン(H+)を緩衝する(HCO3-+ H+→H2O+CO2)際に過剰に生じるCO2の量が,緩衝能の指標となることを報告しています.この過剰CO2排出量と無酸素性能力の指標である酸素負債量,そして400m走パフォーマンスとの関係を検討しており,過剰CO2排出量と400m走タイム(r = -0.703),酸素負債量と400m走タイム(r = -0.635),そして過剰CO2排出量と酸素負債量との間に(r= 0.661)有意な相関関係があったことを報告しています(前村ほか,2005a).さらにHanon et al.(2010)は400m走の300m地点における血中重炭酸イオン(HCO3-)とその後の速度低下との間に有意な負の相関関係が認められたという報告をしており,レース後半まで重炭酸緩衝能力を有していた選手が400m走において速度を維持できていたことを示しています.これはすなわち, 400m走パフォーマンスに優れている者は緩衝能力が優れており,さらに緩衝能力が優れているものは運動後半の筋内pH低下を抑制し,より大きな無酸素性エネルギーを供給することができていた可能性を示唆しています.これらの報告から,緩衝能力とは,「疲労状態においても走り続けることができる(運動を持続させることができる)能力」だと言えるのではないでしょうか.

・緩衝能力に関わるトレーニング効果とその方法
  前村ほか(2005b)は,短距離選手などが多く用いる高強度のスプリントトレーニングによる緩衝能力の変化とパフォーマンスの改善について検討しています.この研究で用いられたトレーニングは30秒間の全力自転車運動を15分間の休息を挟みながら2本,週に2回行うという高強度のスプリントトレーニングを8週間行うというものでした.このトレーニングによって無酸素性能力の指標である最大酸素借や,自転車運動中の平均パワーが向上し,さらに緩衝能力の指標である過剰CO2排出量が増加したものほど自転車運動中のパワーが増加したことを報告しています.さらにSuzuki et al.(2004)は同様のトレーニングプロトコルを用いたトレーニング効果を検討し,30秒間全力自転車運動の後半区間でトレーニング後のパワーの増加率が大きい傾向が見られることを報告しています.このことから緩衝能力の向上によって高強度運動中,特に運動後半のパフォーマンスを改善できることを示唆しています.
 さらに緩衝能力向上のためのトレーニングの方法について,連続的なレペティション形式のトレーニングよりも間欠的なインターバルトレーニングにおいて緩衝能力が大きく動員されていることを示唆する報告や(前村ほか,2003),運動強度についてLT以上の強度でのトレーニングが緩衝能力を大きく改善するといった報告(Edge et al.,2006),また体力レベルによって休息時間を変更することが効果的であるといったことが報告されています(木越ほか,2011).これらの結果をまとめると緩衝能力の向上を目的としたトレーニングにおいて重要であることは1) 運動強度はLT以上であること2)より大きな換気量が引き起こされるような間欠的運動であることの2点であると考えられます.緩衝能力は生体内のpH低下を抑制する調整機構であるため,トレーニングの中で生体内のpH低下と回復を繰り返すことが重要であると考えられます.

・まとめ
 シーズンインまで残り3か月程度となり,短距離選手の冬季トレーニングはより専門的に,強度も量もともに上がってくる時期だと思います.200m,400mおよび800m選手など,無酸素性エネルギー供給の大きい種目に取り組む選手のトレーニングを考える際には,今回ご紹介した緩衝能力のような,より専門的な体力要素に着目してトレーニング内容を検討するのはいかがでしょうか.






参考文献:
Edge, J., Bishop, D. and Goodman C.(2006)The effects of training intensity on muscle buffer capacity in females. European Journal of Applied Physiology,996:97-105.
Robergs, R.A., Ghiasvand, F.and Parker, D.(2004)Biochemistry of exercise-induced metabolic acidosis.American Journal of Physiology,287:R502-R516.
八田秀雄(2016)乳酸をどう考えればよいのか.八田秀雄編 乳酸をどう活かすかⅡ.杏林書院;東京,pp.2-16.
Hanon,C.,Lepretre,P.M.,Bishop,D.and Thomas,C.(2010) Oxygen uptake and blood metabolic responses to a 400-m run.European Journal of Applied Physiology,109:233-240.
Hirvonen,J.,Nummela,A.,Rusko,H.,Rehunen,S.and Harkonen,M.(1992) Fatigue and changes of ATP,creatine phosphate,and lactate during the 400-m sprint.Canadian Journal of Sports Science,17(2):141-144.
Karlsson,J.,Hultén,B.and Sjödin,B.(1974) Substrate activation and product inhibition of LDH activity in human skeletal muscle.Acta Physiologica Scandinavica,92:21-26.
木越清信・加藤彰浩・前村公彦(2011)間欠的スプリントトレーニングの負荷特性-休息時間と 400m 走能力に着目して.陸上競技学会誌,9:7-13.
前村公彦・高松薫(2003)短距離走におけるスピード持久力トレーニング手段の負荷特性に関する研究―過剰CO2排出量に着目して―.日本体育学会大会号,54;520.
前村公彦・宮下憲・高松薫(2005a)重炭酸緩衝能力と400m走パフォーマンスとの関係.陸上競技研究,3:10-17.
前村公彦・鈴木康弘・高松薫(2005b)スプリントトレーニングが重炭酸緩衝能力および無酸素性能力に及ぼす影響.体育学研究,50:415-424.
Metzger, J.M.and Moss, R.L.(1987)Greater hydrogen ion-induced depression of tension and velocity in skinned fibres of rat fast than slow muscles.Journal of physiology,393;727-747.
Suzuki,Y.,Ito,O.,Takahashi,H.and Takamatsu,K.(2004)The effect of sprint training on skeletal muscle carnosine in humans. International Journal of Sport and Health Science,2:105-110.
2017年1月9日掲載

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