レース分析からみた400mオリンピック決勝進出への理論と実際

DC4 山元康平

Rikupediaをご覧の皆様.こんにちは.博士課程の山元です.
  2016年度になり早くも1ヶ月半が経過しました.コラムの更新が遅れ大変申し訳ありません.年度が変わり,それぞれのチームに新たなメンバーが加わり,新しいシーズンに向けて活気が高まる季節かと思います.本研究室も様々な大学から多くの新しいメンバーを迎え,これまでにない大所帯となり競技に研究により一層邁進して参ります.本コラムのほうも,今年度もご愛顧のほど何卒よろしくお願い申し上げます.
  さて,今年は4年に一度のオリンピックイヤーです.開催地であるブラジル・リオデジャネイロに関する不安な報道も一部なされ少し異様なムードではありますが,多くのアスリートが夢の舞台を目指し,日々トレーニングに励んでいることと思います.我々研究者,科学サポートスタッフも,アスリートの目標達成に寄与するべく,日々研究と実践に取り組んでいます.
  さて,世界選手権やオリンピックにおいては,国際陸連や主催国の研究チームなどを中心に,組織的な科学的分析がしばしば行われます(Bruggeman and Glad, 1990 ; Ferro et al., 2001 ; 持田・杉田,2010).そこでは,メダリストなどのトップ選手のパフォーマンスを対象とした分析が行われるのが一般的です.それらは,人類の究極型としてのトップアスリートの特徴を示すという意味で非常に興味深く,魅力的なものです.一方で,競技者およびコーチにとっての現実的な目標という視点で考えてみると,例えば我が国の400m走では,男子では準決勝を突破しての決勝進出,女子では個人での標準記録突破による本大会への出場および予選突破にあると思われます.そのために必要な知見を得るためには,決勝進出者やメダリストだけでなく,予選や準決勝レースについても分析を行う必要があると考えられます.筆者は幸いにも,昨年北京で行われた世界選手権における測定に参加させて頂く機会があり,そこで得られた成果の一部は既に専門誌にて発表されています(山元ほか,2016a ; 山元ほか,2016b.詳細は日本陸上競技連盟のホームページ「委員会」→「科学委員会」→「陸上競技研究紀要」に後ほどアップされますので,ご参照ください).今回のコラムでは,それらのデータの一部を抜粋し,主に男子に着目し,オリンピック決勝進出のための「理論と実際」についてご紹介したいと思います
  表1は,2015年第15回世界陸上競技選手権北京大会男子400m走決勝進出者のデータを示したものです.準決勝通過の最低記録は,着順による通過が44.40秒,タイムによる通過が44.64秒と,いずれも日本記録(44.78秒,高野進,1991年)を上回る非常にハイレベルなものでした.五輪,世界選手権の決勝進出ラインは,大会によって変動しますが,今大会は2000年以降の競技会の中では最高レベルといえるものでした.決勝進出者の平均年齢は25.4(±3.5)歳(括弧内は標準偏差.以下同様)であり,これは例年と同程度でしたが,28歳以上が4名,23歳以下が4名と若手とベテランが混在していました.決勝進出者の400m走自己最高記録は,43.95(0.34)秒と非常に高く,43秒台の選手が5名,最も記録の低い選手で44.54秒でした.これらのことから,日本人競技者が,世界選手権・オリンピックにおいて決勝進出を達成するためには,日本記録の更新が必須となることが再確認されます.また,200m走の自己記録は,7名の記録が確認でき,平均は20.44(0.48)秒でした.内訳をみると,19秒台が3名,20.4-5台が2名,21秒台が2名でした.これらは,国内の200m走を専門とするトップレベル競技者と同等かそれ以上の非常に高いレベルの記録ですが,換言すると,日本人競技者にも充分達成可能なレベルであるといえます.したがって,200m走においても国内トップレベルの走力を獲得することが,世界レベルを目指す日本人400m走競技者に求められると考えられます.
  次にこのようなタイムを記録し,決勝進出を達成するための方略について,レースパターンに着目し考えてみましょう.以前このコラムでも紹介したように,本研究室の研究チームでは,多数の400m走レースを分析することで,目標とする400m走タイムを達成するためのペース配分の目安,いわゆるモデルレースパターンを作成しています(山元ほか,2014).また,山元ほか (2016a) は,世界トップレベルから日本高校レベルまでの競技者の主要競技会におけるレース分析を行い,同様に推定式を提案しています.ここで,世界レベルの競技者のデータも含む山元ほか(2016a)の推定式を用いて,決勝進出の通過ラインである44.6秒のモデルペース配分を求めると, 200mを21.4(±0.36)秒,300mを32.4(±0.37)秒,ラスト100mが12.2(±0.36)秒となります(山元ほか,2014の推定式でも類似した値).括弧内の推定の標準誤差がやや大きいことからも,個人差が大きいことがわかりますが,これらのタイムが決勝進出のためのペース配分の「理論」的な値となると言えます.では次に「実際」の決勝進出者のデータを見てみましょう.前述の表1には,決勝進出者の準決勝および決勝レースにおける200mおよび300mの通過タイム,300-400m区間タイムを併記しています(山元ほか,2016b).決勝進出者のそれぞれの平均タイムは,200m通過が21.39(0.26)秒,300m通過が32.32(0.30)秒,300-400mが12.02(0.19)秒でした.これは,上述したモデルペース配分に類似した値と言えるでしょう.次に,決勝進出者と準決勝落選者の違いについて見てみましょう.図1は,準決勝レースにおける決勝進出者と準決勝落選者の走スピードの変化の比較を示したものです(山元ほか,2016b).図1から,決勝進出者と準決勝落選者の差は,200m以降に生じていることがわかります.具体的には,200mの通過は,両グループとも21.4秒程度であり,300m通過は決勝進出者32.32(0.30)秒に対して準決勝落選者32.61(0.24)秒であり,200-300m区間で約0.3秒の差が生じていることがわかります.また図2は,縦軸に400m走のフィニッシュタイム,横軸にレース中の300m通過タイム(左),300-400m区間タイム(右)をプロットしたものです(山元ほか,2016b).決勝進出者は黒い四角,準決勝落選者は白い丸で示しています.この図から,決勝進出者も準決勝落選者も,多くが300mを32.4秒前後で通過している一方で,最後の直線にあたる300-400m区間は,決勝進出者の多くが12.0秒前後でカバーしているのに対して,準決勝落選者はそれ以上のタイムを要していることがわかります.以上のように,モデルペース配分と実際の決勝進出者のペース配分から,300mを32.5秒を切るタイムで通過し,最後の100mを12秒0に近いタイムでカバーすることが,決勝進出の目安になると考えられます.そして,決勝進出者と準決勝落選者の比較から,決勝進出を目指す上では,非常に速いペースで300mを通過した上での,レース終盤でのスピードの持続の重要性が伺えます.
では,このような終盤のスピードの持続はいかにして達成されるのでしょうか.400m走のスピード低下に影響する要因については,前回の私のコラムでいくつかの観点から紹介しました.さらに簡単な(そして少し乱暴な)モデルで考えると,レース終盤のスピードの持続は,「前半の余力」と「後半の持久力」が相互に複雑に関与するものであると思われます.「前半の余力」は最大スピードや走りの効率(経済性)と,「後半の持久力」は,エネルギー供給能力,筋の持久性,疲労時の疾走技術と関連するものと思われます.なお,最大スピード能力を反映すると考えられる200m走の自己最高記録は,決勝進出者と準決勝落選者との間に顕著な差は認められませんでした.すなわち,自己最高記録と通過タイムだけで考えると,200m通過時点での客観的な余力は,決勝進出者と準決勝落選者に大きな差はないと言えます(当然ながら,タイムだけでは余力の大きさを評価することはできないと考えられます).
  種目は異なりますが,400mHの日本記録保持者にして世界選手権で2度のメダルを獲得している為末大氏は,2度目のメダル獲得となったヘルシンキ世界選手権の決勝レースを振り返り,以下のように述べています.
  『優勝したバーション・ジャクソンとは、ホームストレートに出たところでは並んでいたのに、ほんとど最後の50mだけで0.8秒も差をつけられた。それはもう、足の速さとしかいいようのない差だったのだ。(為末大,「走りの極意」p137)』
  最後の直線に入った時点で並走していた優勝者のバーション・ジャクソン選手に,フィニッシュでは大差をつけられたことを振り返り,「足の速さとしかいいようがない」と述べています(為末,2007).このように,為末氏は,レース終盤でのスピードの持続の要因を「最大スピードの高さ」にあると判断し,その後最大スピードを高めるトレーニングに取り組んだことはよく知られています(為末,2007).このようなトップ競技者の経験と感覚は非常に重要であり,今後も同様の事例が蓄積され体系化されていくことが望まれます.
  レース終盤のスピードの持続は,全ての400m走競技者にとっての課題であり,ある意味では400m走の本質と言っても過言ではありません.そのようなレース終盤の持続に対して,最大スピードの高さが影響を及ぼすことは疑いの余地はありません.一方で,最大スピードのみが決定要因ではないことは,上述した世界選手権準決勝進出者の200m自己記録の比較や,優れた100m走200m走競技者が,必ずしも優れた400m走競技者とはならないことからも明らかです.したがって,レース終盤でのスピード持続に影響を及ぼす最大スピード以外の要因や,その開発のためのトレーニング法についても,更なる検討と究明が必要であると考えられます.
  なお,女子については標準記録(52.20秒)の突破が大きな課題となると思われます.山元ほか (2016a) の推定式から52.20秒のモデルペース配分を求めると,100m通過が12.6(0.24)秒,200m通過が24.8(0.39)秒,300m通過が37.8(0.32)秒となります.参考までに,日本記録保持者である丹野(千葉)麻美選手が,2007年大阪世界選手権の準決勝において,51.81秒を記録した際の通過タイムは, 100m通過が12.58秒,200m通過が24.76秒,300m通過が37.63秒であったことが報告されています(持田・杉田,2010).これらのことから,上述の理論的なモデルペース配分は,日本人選手にとっても充分達成可能なものであると思われます.
  今回のコラムでは,レース分析データに着目し,400m走でのオリンピック決勝進出のための理論と実際について紹介しました.レース分析データ(通過タイムデータ)は,あくまでも現象を客観的に描写したものに過ぎず,その背後にある競技者の意図,技術・体力・戦術,トレーニング内容などは想像,推察するしかありません.そのことを指して,「レース分析は無意味である」という批判がしばしばなされます(私も某大学コーチからよくお叱りを受けます).一方で,レース分析データは,パフォーマンスの最も基本的な情報であり,パフォーマンスモデルやトレーニング戦略を考える出発点になりうると考えられます.今回紹介した情報が,トップアスリートだけでなく,多くの競技者,指導者の皆様に,400m走のパフォーマンス構造やトレーニング戦略を考えるきっかけとして頂ければ幸甚の極みです.そして,私も研究者とコーチ(の端くれの卵のような何か)のひとりとして,アスリートが夢の舞台を目指すサポートを,これからも続けていこうと思います.
  ご意見ご質問はkyama1638@gmail.comまで.

Give me a place to stand on, and I will move the Earth. -Archimedes










参考文献:
Bruggeman, G.P. and Glad, B. (1990) Time analysis of the sprint events. In: International Athletic Founda- tion and International Amateur Athletic Federation. (Eds.) Scientiˆc Research Project at the Games of the XXXIV the Olympiad-Seoul 1988 Final Report. International Athletic Foundation: Monaco, pp. 11- 89.
Ferro, A., Rivera, A., Pagola. I., Ferreruela, M., Mar- tin, A., and Rocandio, V. (2001) Biomechanical anal- ysis of the 7th World Championships in Athletics Seville 1999. New Studies in Athletics, 16(1): 25-60.
持田 尚・杉田正明(2010)2007世界陸上競技選手権 大阪大会における決勝400 m 走レースのバイオメカ ニクス分析.日本陸上競技連盟バイオメカニクス研究班編,第11回世界陸上競技選手権大会 日本陸上 競技連盟バイオメカニクス研究班報告書 世界一流 陸上競技者のパフォーマンスと技術.財団法人日本 陸上競技連盟:東京,pp. 51-75.
為末大(2007)走りの極意.ベースボールマガジン社:東京.
山元康平・宮代賢治・内藤 景・木越清信・谷川 聡・大山卞 圭悟・宮下 憲・尾縣 貢(2014)陸上競技男子 400 m 走 におけるレースパターンとパフォーマンスとの関係.体育 学研究,59(1):159-173.
山元康平・高橋恭平・広川龍太郎・松林武夫・小林海・松尾彰文・柳谷登志雄(2016a)2015年主要競技会における男女400m走のレース分析.陸上競技研究紀要,11:128-134.
山元康平・高橋恭平・広川龍太郎・松林武夫・小林海・柳谷登志雄・松尾彰文(2016b)2015年第15回世界陸上競技選手権大会北京大会400m走のレース分析―男子準決勝および女子予選レースに着目して―.陸上競技研究紀要,11:100-105.
2016年5月16日掲載

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