筋力トレーニングの可能性 −錯覚を利用したトレーニング法−

DC2 廣瀬健一

博士後期課程の廣瀬です.新学期も始まりましたね,皆様いかがお過ごしでしょうか?私も筑波大学に入学し,かれこれ1年余りが経ちました.大学での練習にも慣れ,アメリカ西海岸臭プンプンのトレーニング場にも違和感が無くなってきた今日この頃,今回は筋力トレーニングについて考えていきたいと思います.

ベンチプレス=上半身(主に大胸筋)の筋力トレーニング

主に鍛えられる筋肉(主働筋),さらには協働筋(主働筋の動きを補助する筋肉)の名称まで答えることができたらあなたはもう立派なトレーニーです.しかし,ここで終わってしまっては,教科書止まり・・・という事で今回は筋力トレーニングを違った視点から見ていくこととしましょう.

読者の皆様の中には筋力トレーニングを「自身の専門種目の姿勢や動作に近づけた方法」で行っている方もいらっしゃるかと思います.このような方法をとることで,技術的な要素も包括した中で筋力トレーニングを行うことが可能となります.例えば,前々回の私のコラムの中でクリーンの最大挙上重量とハンマー投記録の関係が非常に高いというお話しをさせていただきました.その理由として,廣瀬ほか(2013)はクリーンの持つ運動構造がハンマーを加速させる動作に類似している(バーベルを引く動作とハンマーをローポイント付近で引っ張る動作)からであると考察しています.そのため,ハンマー投の技術的特性を理解することで,クリーンが筋力トレーニングの枠を超え,技術トレーニングとしても応用することが可能となります.

村木(2007)は「優れた洞察力と高度な実践力を持つ創造的コーチや選手は直感的に,運動における体力・技術の不可分な一体としての相補性に気づいており,その可能性を巧みに利用している場合が多い」と述べています.ということは,競技力のある選手ほど体力トレーニングを単なる体力トレーニングとして捉えていない可能性が高いのではないでしょうか.このように「体力」と「技術」を相補的に捉えた考え方を持つことによって,より競技力の向上に直結したトレーニングを行うことできるのかもしれませんね.

というように,ここで終わらせても良いかと考えたのですが,大学レベルでバリバリに競技をされている皆様には「こんなの知ってて当然だ」と言われてしまいそうです.タイトルに「筋力トレーニングの可能性」などとカッコつけてしまい後にも引けないので,今回は更なるチャレンジをしてみることにしました.

古くからスポーツの世界では心・技・体という言葉が使われてきました.そしてスポーツ科学も“体力”,“技術”,“心理”面,それぞれに様々な分析を重ねてきました.そこで今回は第3の視点である“スポーツ心理学”視点のコラムを展開してきたいと思います.

前回のコラムにおいては,ハンマーの重量を増大させたトレーニングは「筋力トレーニング法」の一つであると紹介させていただきました.ですが,実はこのような展開を予想して,前回のコラムの最後の方に「筋運動感覚残効」という言葉を登場させていたのですが・・・覚えていらっしゃいますでしょうか? 

筋運動感覚残効とは「それまでの知覚経験の結果として生じる対象の形や大きさ,重さにおける知覚変容あるいは,手足の位置や運動,筋収縮の強度における知覚的歪み」(Sage,1984),「先行する運動の経験によって,その直後の運動における筋運動感覚の知覚に歪みが生じること」(工藤,1989)と定義されています.この説明ではちょっと・・・という方のために具体例を出してみましょう.重い物を持った後,それよりも軽い物を持ったとき,「やたら軽く感じるぞ!」と感じたことはないでしょうか.このような「錯覚」によって引き起こされる知覚の変容のことを,スポーツ心理学の分野では「筋運動感覚残効」と呼んでいます.

人々は古くから,競技で使用する用具の重さを増大させることで「筋運動感覚残効」を利用してきました.野球においてSinger(1968)は,通常よりも重いボールやバット用いたウォーミングアップを行った後,普段使用している用具を使用した際に「普段よりも良いパフォーマンスが発揮できたと“感じる”」という意見が得られたと報告しています.また,Trancred and Trancred(1977)は円盤投において,通常よりも重い円盤を用いたトレーニングによって投てき記録が向上したことを報告しており,通常の円盤を軽いと“感じる”ことが心理的に良い影響を与えたと考察しています.さらに,砲丸投選手のウォーミングアップに関してJudge(2009)は,「競技で使用する砲丸が重いと“感じ”られることは競技にとって良いことではなく,準備運動などによって砲丸が軽いと“感じ”させることができれば,パフォーマンスを向上させる助けになる」と述べています.ひょっとすると,重いハンマーを投げていた例の外国人選手(前回のコラム参照)もハンマーを軽く“感じ”たかったのではないでしょうか.

どうやら,用具の重量を増大させたトレーニングは「知覚」にアプローチする側面があるように感じ取れます.ここでもう少し踏み込んで見ていきましょう.ヴァイツゼッカー(1975)はその著「ゲシュタルトクライス」において,「知覚」と「運動」は一元論的に理解されるものであることを示しました.そして,認知心理学の分野においても,「知覚」と「運動」は別々に存在するのではなく,極めて複雑に相互に作用しあっているものとして認識されています(乾,1995).これらを踏まえると,重い用具によるトレーニングは,用具への知覚的な認知を変える(重い→軽い)トレーニング法であり,「知覚」と「運動」の相互作用によって,運動にポジティブな影響(投げにくい→投げやすい)を及ぼすのではないでしょうか.このように,重いと感じていた用具が軽く,投げやすく感じることを兄井ほか(2013)は「当該状況を“運動遂行”にとって“有利”だと知覚すること」と表現しています.

「知覚」を変化させることによって「運動」に変化を生じさせる・・・.これを利用することの価値を先人たちは見出したのかもしれません.このような視点も可能であることから,用具の重量を増大させたトレーニングは古典的な手法であるにもかかわらず,現在においても利用されているのかもしれませんね.

本コラムは実のところ,皆様のトレーニングに対する視点を変える「きっかけ作り」を目標として展開させていただきました.実際,ベンチプレス一つとってみても,筋力を鍛える筋力トレーニングとしての視点や,投動作の強化などの技術トレーニングとしての視点,さてまた重量への知覚的な認識を変えるための心理トレーニング視点での実施が可能であると言えるのではないでしょうか.このように,同じトレーニング方法であっても,選手自身の“目的”によってトレーニングに対する“視点”が変わってくるのです.そのため,トレーニングを実施する際は,何を目的とするかを「決定」し,トレーニング方法を「選択」していく過程が非常に重要であると考えられます.

スポーツ科学は学際的な研究分野であります.そのため,物事を一面的に捉えず,柔軟な思考を大切にすることでトレーニングの可能性を広げていくことができるのかもしれませんね.

参考文献:
兄井 彰・本多壮太郎・須﨑康臣・磯貝浩久(2014)筋運動感覚残効が砲丸投げのパフォーマンスに及ぼす影響. 体育学研究, 59: 673-688.
廣瀬健一・高梨雄太・青木和浩・金子今朝秋(2013)ハンマー投競技者のパフォーマンスとコントロールテストの関連性について: ケトルベル投に着目して.陸上競技研究, 1: 38-44.
乾 敏朗(1995)知覚と運動.乾 敏朗編 認知心理学1知覚と運動,東京大学出版会: 東京, pp. 1-13.
Judge, L.W.(2009)The application of post-activation potentiation to the track and field thrower. Journal of Strength and Conditioning Research, 31: 34-36.
工藤孝幾(1989)外界の視覚的認知. 麓 信義ほか著 運動行動の心理学. 高文堂出版社: 東京, pp. 130-135.
村木征人(2007)相補性統合スポーツトレーニング論序説: スポーツ方法学における本質問題の探究に向けて. スポーツ方法学研究, 21: 1-15.
Sage, G.H.(1984)Motor learning and control: a neuropsychological approach. Wm. C. Brown Publishers: Iowa. pp. 190-192.
Sale, D.G.(2002)Postactivation potentiation: role in human performance. Exercise Sport Science Review, 30: 138-143.
Singer, R.N.(1968)Motor Learning and Human Performance. The Macmillan Company: New York. pp. 86-87.
Trancred, B. and Trancred, G.(1977)The effects of using a "heavy" discus in training by novice U/15 years old schoolboys. Athletics Coach, 11: 9-11.
ヴァイツゼッカー: 木村 敏・浜中淑彦 訳(1975)ゲシュタルトクライス. みすず書房: 東京.

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