伸張性の肩内旋トルクがやりの初速度を生み出す

MC1 Hoang The Nguyen

Rikupediaをご覧の皆様。今年もよろしくお願いいたします。今回のコラムはホアンが担当させていただきます。前回のコラムでは初速度に違いが生まれる要因を肘関節の角度に着目し、運動連鎖の観点から紹介しました。今回のコラムでは、初速度の生成を関節トルクの観点から検討したキネティクス的研究について紹介したいと思います。

初めに、キネマティクス的分析とキネティクス的分析について、これらの分析がコーチングの現場にどのようにして取り入れられているのでしょうか。キネマティクス的分析とは、私達が競技者を見たときに、「あの選手は助走が速い」「リリース時にブロック脚が曲がっていない」など様々な点に着目し、四肢の形や角度、速度や変位、加速度などを定量的に評価する方法のことを示します。これまで、やり投動作のキネマティクス的研究は多く行われており、その代表として田内ほか(2012)は、やり投競技者の技術を得点化する基準を作成しています。

一方、キネティクス的研究とは、これら関節の動きの原因となる力について分析する手法のことを示します。つまり、動作の発生源に着目することで、どのような力発揮をしていたのか明らかにすることが可能であり、キネマティクス的分析だけでは明らかにならなかった特徴についても知ることができます。

そこで、今回のコラムでは、上半身の関節トルクに着目し、選手がどのような力発揮をしているのか紹介していきます。前回のコラムと合わせてやり投の初速度を生成する動作が何を起因にして生じているか、そのメカニズムについてご理解いただけると幸いです。

関節トルクとは筋が関節周りに発揮した正味のモーメントであり、関節を回転させる力と言い換えることができます。そして、筋肉を縮めながら関節を動かす場合は短縮性のトルクパワー発揮、反対に、筋が引き伸されながら力を発揮する場合は伸張性のトルクパワー発揮と定義されています。

吉田(2008)は、やりの加速メカニズムを検討するために、やりの初速度獲得に対する、身体各関節トルクの貢献度について順動力学的分析を用いて検討しています。その結果、 以下に示した図が初速度獲得のメカニズムであると報告しています。その中でリリース時の初速度生成に顕著な貢献を示したのは伸張性の肩関節内旋トルクならびに肘関節屈曲トルクであることを明らかにしています。

具体的にどのように力が生成されるのか見ていきますと、まずリリース時に体幹回旋トルク、その後に伸張性の肩・水平内転トルクが発揮されることにより、伸張性の肩内旋トルク発揮に貢献していることがわかります。ここで注目していただきたいポイントは伸張性の力発揮が初速度に大きく貢献しているということです。つまり、上肢に対して腰をすばやく前方に回し込み、肩を水平伸展することによって、身体の後方にかまえたグリップには非常に大きな肩外旋角速度が加わり、腕が後方に残され最大外旋位となります。これにより肩内旋筋群は大きく引き伸されますが、その中で負けずに大きな内旋トルクを発揮することが初速度獲得に重要であると言えます。また、野球ではこの局面をコッキング期と定義しているほか、あらゆる投動作でこの局面は存在します。前回のコラムをお読みいただいた方でしたら、お気づきになられたと思いますが、このメカニズムは体の中心部から末端部にかけて順次速度が加算される運動連鎖の中で、身体が上述した力発揮を行っていると捉えることができます。

この結果を踏まえて、私達はトレーニング論の授業の中でやり投選手の専門的な体力について評価する事を試みました。その結果、全身を用いて行うメディシンスローなどでは競技種目間に差は見られませんでしたが、関節の動きを制限し、肩の内旋筋力を評価することを試みたボールスローではやり投競技者がその他投てき選手と比較して高い値を示しました。今回の測定では、短縮性の肩内旋筋力の評価を行いましたが、腕が後方に残される中で、負けずに内旋筋力を発揮することがやり投のパフォーマンスにおいては大切であると考えると、肩の内旋動作に関わる大胸筋、広背筋、大円筋、肩甲下筋の強化はやり投競技者にとって重要な課題となると言えます。また、リリース時に肘関節の屈曲トルク発揮が重要である理由として、肩の内旋を有効的に末端の速度増加に繋げるためであると言えます。イメージで例えると、まっすぐなストローを回転させてもストローの末端は動きませんが、ストローを折り曲げて根元を回すと先端部分は速い速度で大きく動きます。やりのリリース時は投げ腕に遠心力やコリオリ力など肘を伸展させる力が加わります。これらの力に負け、肘が伸びた状態でリリースをしてしまっては、せっかく大きな内旋トルクを発揮しても末端の速度獲得に有効に活かすことができません。そのため、高い初速度を得るためにこれらの力に負けないように肘関節屈曲トルクを発揮することが大切となるのです。さらに、先行研究においてもリリース時の肘の屈曲角度と初速度との間に有意な相関関係が認められていることから(村上・伊藤,2003)、リリース時に肘が伸びきらないように肘屈曲トルクを発揮することは初速度獲得に重要であると言えます。

しかし、先ほども述べたように、体幹の回旋トルクを起点に各関節のトルク発揮を協調させ力を発揮しやすい状態となることが大切であるため、単にこれらの動作を主動する筋群を鍛えれば良いというわけではありません。そのため、前回紹介した上肢の運動連鎖を上手く活用し、その中でインナーマッスと呼ばれる肩の回旋動作を助ける筋群を強化することが、より速い初速度獲得に繋がると考えられます。

参考文献:
村上雅俊・伊藤章(2003)やり投げのパフォーマンスと動作の関係.バイオメカニクス研究,7 : 92-100.
田内健二・藤田善也・遠藤俊典(2012)男子やり投げにおける投てき動作の評価基準.バイオメカニクス研究、16 (1) : 2-11.
吉田陽平(2008)やり投げにおけるやりの加速メカニズムに関するバイオメカニクス的研究.平成20年度筑波大学大学院体育研究科スポーツ科学専攻修士論文.

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