「無酸素性エネルギー供給系を高めるトレーニング
 -運動生理学的視点から-」

MC1 早狩成美

RIKUPEDIAをご覧の皆さん,陸上競技研究室のHPへようこそ!そして初めまして,MC1の早狩です.筑波大学の学群時代は陸上競技部に所属し,短距離を専門として競技を行ってきました.本年度からは陸上競技研究室に所属し,「陸上競技の楽しさに触れて,みんなが笑顔になる!」をコンセプトとし,勉強・研究しています.
さて,今回のコラムは運動生理学の視点から陸上競技短距離走のトレーニングを考えてみるといった,陸上競技研究室では少し珍しい内容について触れさせていただきます.

ヒトは生きていくために,体内を巡った空気と外界の新鮮な空気とを入れ替えています.これは換気と呼ばれています.また,体内に取り入れた空気内の酸素を肺胞を介して毛細血管に取り入れ,体内の二酸化炭素を肺胞を介して外界へ出すという一連の流れはガス交換と呼ばれています.そして,換気とガス交換を合わせて,呼吸と呼びます.ヒトが運動を行うときは,換気を行う回数が増え,換気量が増加する傾向があります.この状態が続く,またはより高い強度で運動を行うと,換気が更に増加し,必要以上に酸素を摂取するため,必要以上に二酸化炭素も排出してしまいます.この状態は過換気と呼ばれており,過換気の状態が続くと動脈血中の二酸化炭素の濃度が低下するため,動脈血中二酸化炭素の分圧(PaCO2)の低下が起こります.この状態はHypocapnia(ハイポキャプニア)と呼ばれています.近年,このHypocapniaの状態で運動を行ったときのパフォーマンス,および代謝応答(呼吸回数や呼気ガスの割合の変化)に及ぼす影響が研究されています.

これから紹介する研究の内容を理解しやすくするために,まず,エネルギー供給系(筋肉を動かすために使用するエネルギー源)について説明します.私たちが運動を行うためには筋肉を収縮させる必要があります.筋肉を収縮させるためのエネルギー源はATPと呼ばれており,ヒトはATPを分解することによって筋肉を動かしています.しかし,ATPは身体の中に限られた分量しか蓄積できないため,再合成をする必要があります.再合成を行い,エネルギーを供給する方法は,3つあります.それはATP-CP系,解糖系,有酸素系の3種類です.ATP-CP系は3つの供給方法の中で供給するスピードが最も速い一方,エネルギー源であるクレアチンリン酸を少量しか体内に蓄積できないため,短時間で枯渇します.有酸素系は他の2つの供給系と比較すると,最も供給スピードが遅い一方,最も長く供給することができます.解糖系は供給スピードと供給時間共に,ATP-CP系と有酸素系との間に位置づけられています.また,この3種類のうちATP-CP系と解糖系は酸素を使用しなくてもエネルギーを供給できるため,無酸素性エネルギー供給系と呼ばれています.一方,有酸素系はエネルギーを供給するために酸素が必要なので,有酸素性エネルギー供給系と呼ばれています.陸上競技においては,短時間で爆発的なパワーを発揮する短距離選手は無酸素性エネルギー供給系を,長時間走り続けなければいけない長距離選手は有酸素性エネルギー供給系を,それぞれ日々の練習を通じて高める必要があります.

次に,Hypocapniaの状態におけるエネルギー供給系について検討した研究を紹介します.LeBlanc et al.(2002)は,Hypocapniaの状態で最大下強度の運動(55%V(・)O2max)を行い,それぞれのエネルギー供給系が使用された割合について検討しました.エネルギー供給系の検討方法としては,この研究では大腿の外側広筋の筋肉を取り出し,筋肉内のエネルギー源を調べるという手法を用いています.結果として,大腿の外側広筋における運動1分目において,ATP-CP系エネルギー供給の割合には変化がないものの(11%),解糖系エネルギー供給の割合が増加し(26%から37%),有酸素性エネルギー供給系の割合が低下する(63%から52%)ことを報告しています.つまり,大腿の外側広筋における運動1分目の無酸素性エネルギー供給量が増加し,有酸素性エネルギー供給量が減少したことを示しています.このことから,Hypocapniaの状態でトレーニングを行うと,有酸素性のエネルギー供給量が低下し,無酸素性のエネルギー供給量が増加する可能性があると考えられます.

では,Hypocapniaは運動パフォーマンスにどのような影響を及ぼすのでしょうか?McCartney et al. (1983)は,短時間高強度運動における代謝性アルカローシスの影響を検討しました.(代謝性アルカローシスとは,重炭酸塩を作為的に摂取することで疑似的に Hypocapniaの状態を作り出すことを指します.)McCartney et al. (1983)は,重炭酸ナトリウム(重炭酸塩を多く含んでいる物質)摂取によって代謝性アルカローシスを起こし,その後30秒の全力ペダリング運動を行わせました.結果として,代謝性アルカローシスを起こした条件と代謝性アルカローシスを起こさずに全力ペダリング運動を行った条件とでは,発揮パワーが同等であったことを報告しています.つまり,Hypocapniaの状態を引き起こし,無酸素性エネルギー供給系を動員させた状態と通常の状態とでは,パフォーマンスにほとんど差はないことが明らかとなっています.

以上のことから,Hypocapniaの状態でトレーニングを行うと,出力は通常と同じく高い状態のままで,更に無酸素性エネルギー供給系を刺激できます.つまり,Hypocapniaの状態でのトレーニングは,通常のトレーニングと比較して,より無酸素性エネルギー供給系を鍛えられる可能性が考えられるのです.

陸上界ではこれまでに,無酸素性エネルギー供給系に負荷を与えるトレーニングとして,高地トレーニングが行われてきました.しかし,今回紹介したHypocapniaの状態でのトレーニングが簡易的に行えるようになれば,高地へ行かなくとも,より手軽に効果よく無酸素性エネルギー供給系を鍛えることができるかもしれません.

参考文献:
Kindermann, K. , Keul, J. , and Huber, G. (1977) Physical exercise after induced alkalosis (bicarbonate or tris-buffer). European Journal of Applied Physiology and Occupational Physiology, 37(3): 197-204.
LeBlanc, P. J. , Parolin, M. L. , Jones, N. L. ,and Heigenhauser, G. J. F. (2002) Effects of respiratory alkalosis on human skeletal muscle metabolism at the onset of submaximal exercise. Journal of Physiology, 544(1): 303–313.
McCartney, N. , Heigenhayser, G. J. F. , and Jones, N. L. (1983) Effects of pH on maximal power output and fatigue during short-term dynamic exercise. Journal of Applied Physiology, 55(1Pt1): 225-229.
MSD(2008)メルクマニュアル医学百科 家庭版 アルカローシス.
http://merckmanuals.jp/home/appendixes/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E3%81%AE %E6%8F%9B%E7%AE%97%E8%A1%A8/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E3%81% AE%E6%8F%9B%E7%AE%97%E8%A1%A8.html,(参照日2014年10月8日)
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