筑波大学の陸上競技部は東京高等師範学校の陸上競技部を源流とし,1902年の創部以来今年で111周年を迎え,この間に幾多の名選手,また幾多の著名な教育者および研究者を輩出してきました.陸上競技部の初代部長は野口源三郎先生で1925年に部長に着任していて,東京高等師範学校の体育学部長を長きに渡って務められました.また,野口先生は十種競技でアントワープ五輪に出場し,のちのパリ五輪では日本代表チームの監督を務めています.また,箱根駅伝を考案したと言われる3名のうちの一人としても有名です.さらに,野口先生は日本陸連の専務理事も務められています.これらの素晴らしい功績が,「日本における近代陸上競技の父,野口源三郎」と言われる所以と言えそうです.なお,東京高等師範-東京教育大学-筑波大学の陸上競技研究室から,日本陸連の専務理事職に野口先生に加えて,帖佐寛章先生,さらに尾縣貢先生の計3名が,日本陸上競技連合の専務理事職に関岡康雄先生をはじめ3名が就任しています.このように東京高等師範-東京教育大学-筑波大学の陸上競技部ならびに陸上競技研究室が日本の陸上競技における中心的な役割を果たしてきたことは疑う余地もありません.
陸上競技研究室の歴史については,東京高等師範時代における俗にいうゼミや研究室の存在の有無についてなどまだまだ調査中ですのでここでの言及は避けます.ただ,1933年に創刊された「體育研究」という雑誌に,野口先生の「最近のスタート及びスタートダッシュについて」や「児童の走・跳・投の能力について」といった論文が掲載されていることから,東京高等師範-東京教育大学-筑波大学における陸上競技研究の源は野口先生のこれらの論文にあると言えそうです.さらに興味深いのは,「體育研究」の発刊元である体育研究所の任務は哲学および科学の任務であって,東京高等師範の任務は応用科学の立場にあるとされ,東京高等師範の社会的役割は,原理の研究批判よりもその原理を如何に実践するかの方法の研究と指導にあると考えられていたことです.したがって,「體育研究」に掲載されている論文は野口先生の論文を除いてはそのほとんどが医学的な基礎研究であったようです.そして,これらの医学的な論文の多くは東京帝国大学医学部の出身者によって執筆され,これに対する形で東京高等師範の出身者で自らも優れた競技選手でもあったいわゆる体育の指導研究をするグループを野口先生が先導して,科学と実践との橋渡し的な役割を果たしてきたようです.つまり,これらの歴史的な背景から,筑波大学陸上競技研究室の歴史的な役割は,基礎科学とは立場を異にした実践に資する研究であることがわかります.そして,このことはこれからも変わりません.「まず実践,そして研究」をモットーに,これからも絶えず実践に軸足を置いて研究活動を続けていきたいと考えております.
筑波大学陸上競技研究室では,週に一回のペースでT&Fセミナーという論文抄読会を実施しています.この抄読会では,陸上競技に関する国内外の論文を読み,得られた知見が実践にどのように役立つのか?また役立つような知見を得るために我々は次にどのような研究をすべきか?などを議論しています.そして,本コラムでは,この抄読会においてなされた議論を中心に,実践の現場に役立つ情報が提供できればと考えております.Enjoy your practice!!